ドラムの大きさが衝撃的
大きい液晶や役物などが搭載されているパチンコ台など、今では珍しくありません。
しかし、当時 初めてフィーバーキングを目の当たりにした時 ドラムの大きさが衝撃的だったのを覚えています。
当時のパチンコ台はセル版のデザインなどが派手なのはありましたが、メインとなるドラムや役物が派手というのは、なかなかありませんでしたからね。
フィーバーキングのスペックとしては 大当たり確率1/254。保留玉連チャン率18%で、当時のスペックとしては よくあるスペックです。
新台入替がお祭り状態に
私がフィーバーキングの思い出で強烈に思い出すのが、新台入替での事
当時、私が通っていた店は2.5円交換で、フィーバーキングはラッキーナンバー制
今では、厳しすぎるルールだと思われますが、当時はどこのパチンコ屋も似たような営業形態でしたね。
まあ、そのようなルールなのでボッタクリの釘というのは少なく、甘釘もたくさんあった時代です。
そんな時代の新台入替です。
大甘の釘状態になってても不思議ではありません。
期待に胸を膨らませて、いざ勝負!
ヘソ釘は見た目でも、開いているのがわかります
案の定クルクル回ります
ていうか、回りすぎています
1万円分の500円玉が全く減らない。
最初に投入した500円でグルグルに回り続けています。
当時は回転数などをカウントする機器などはなかったので、体感的な話ではありますが1000円で100回位は回っていたはずです。
今、思うとしっかりと止め打ちをしていれば、玉は減らなかったかもしれません。
当時の私はリーチ中でも打ちっぱなしでしたし、ハンドルにコインを挟んでの固定ハンドルが黙認されていたので、腕を組んで見ていました(笑)
いずれにせよ、尋常でない勢いで回ります。
これは、ホールが釘を大きくアケたというよりも、ステージのクセがバツグンに良かったのが理由でした。
フィーバーキングが登場するまでは、ワープルートというゲージはなかったと記憶しています
その為、ホールもこんなに回るとは思っていなかったのでしょう。
ラッキーナンバー制だったので、ドル箱タワーという光景には なりませんでしたが、完全にお客の勝ちでしたね。
私も5万くらい勝ったと記憶しています。
次の日も まだまだ回る!!
前日の興奮が覚めずに、次の日もフィーバーキングのシマへ
まあ、さすがに釘も絞められているだろうと思っていたのですが、意外にも回る!!
ただ、前日のような1000円で100回クラスではなかったですが、その半分の50回位は回りました。
今の時代なら、朝から閉店までタコ粘りというのが、あたり前かもしれませんが、当時はヤメていく人も多かったです。
私も途中でヤメて、他の台を打っていましたからね。
当時はガチのパチプロという人達は少なかったような気がします。またガチのプロたちはデジパチよりも平台や権利物などを好んで打っていましたね。
少なくとも、今のプロのような「期待値」「仕事量」などといった感覚のパチプロはいなかったはずです。
いずれにせよ、当時の私は目の前にあるお宝台の価値がわかっていませんでしたね。
ある程度ハマると隣の台に移動したり、ヤメたりといった立ち回りでしたから...
そんな、ハチャメチャな立ち回りでも大負けせずに遊べていたという事は、釘も甘かったんでしょう。
現代のパチプロ達が過去のホールにタイムスリップしたら、天国かもしれません。
フィーバーキングは1週間位、かなり回る調整でした。
ホールが意図的に回していたのか、締めきれなかったのかは 今となっては謎のままです。
フィーバーキングは非常に良い環境で打てたので、私の中で良台というイメージがつきました。
その後に発売されるフィーバークィーンも、この流れでドップリとハマることになるのですが...
今では珍しくないデカドラムと当たった時の高音の音が、大変思い出深い名機でしたね。
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