単チェリーの元祖
アラジンシリーズとして、パチスロやパチンコなどリリースされてきましたが、その原点が2号機アラジン。
アラジンといえば単チェリーが代名詞ですが、初代アラジンから単チェリーはリーチ目として存在感を発揮してたんです。
当時はサミーではなく、ニイガタ電子というメーカーからの販売でしたね。
このニイガタ電子が、その後サミーになったのか、山佐系になったのか よくわかりませんが、アラジンを産みだしたのは間違いない事実
2号機時代のパチスロはAタイプが基本だったのですが、アラジンはシングルの集中を搭載したCタイプとして登場したのです。
目指すはアラジンチャンス
アラジンの醍醐味は集中であるアラジンチャンス。
地域によっては、パニックと呼んでいたところもあるみたいですね。
アラジンの集中はパンクかビッグ成立まで続くのですが、どちらのフラグもかわしつづけてロング継続することも多々ありました。
それ故に「アラジンは夢がある」「アラジンは一発逆転できる」というイメージをもっていた人達も多かったですね。
アラジンで、まず目指すのは単チェリーの出現。
単チェリーが出現して、7もREGも揃わなければ、熱い状態
更に、単チェリー後にシングルボーナスが揃ったら激アツです。アラジンチャンス突入の大チャンス!
しかし、アラジンではガセの単チェリーも出現するので、ガセ単チェリー後に たまたまシングルをひくというガッカリパターンもありました。
更にアラジンはアラジンチャンスに突入しても、台に何の変化もおこりません。
今のスロットのようにランプが点灯したり、音楽がなったりなどありません。
ただ、シングルが高確率で揃い、単チェリーの出現もアップするという、打ち手だけが確認できる状況
しかし、多くのホールはシングルが連続で揃うと台上のランプがクルクルと回りだし、他のお客にもアラジンチャンス突入をパトライトによって告知してました。
自力でシングルが連続した時もパトライトが回りだすので、アラチャンに突入していないにも関わらずパトライトが回りっぱなしという珍現象も起きてましたね。
原爆セット打法
当時はスロ雑誌も今ほどメジャーではなく、オカルト記事も多かったのですが、
ある日、突然アラジンのセット打法なるスクープがでます。
その手順もしっかりと書かれており、それを読んだ私は すぐさまホールへGO!
ドキドキしながら、手順を実行します。
が!
まったくできずに諦めて帰ったのを覚えています。
今、思うと あのセット打法が本当に存在したのか、どうかは不明です。
よくよく冷静に考えると原爆セットという、ネーミングも凄いですよね。
アラジンがシマ閉鎖などにはならなかった事を考えると、セット打法そのものがガセだったか、一部の台にしか通用しなかったのか、今では謎のままです。
毎日、高設定を打っていた!?
私がアラジンを打っていた時代は、スロットのシマは隅っこに1シマほどしかない時代です。
打ってるお客全員がド素人であり、目押しができる人は少なかった時代
私も連日、アラジンをオヤジ打ちしてましたかね。今 思うとチェリーのこぼしやボーナスを揃えるまでのコインロスも激しかったと思います。
とくにアラジンはリールの図柄も細くて見にくくて、当時の私は7の目押しに苦戦してたのを覚えています。
目押しができずに、8枚交換の店でアラジンを打っていたわけですが、勝っていたという印象が残ってるんですよね。
少なくてもボロ負けとか、えげつない展開にはなっていなかったです。
今 思うと8枚交換で目押しもできないでスロットをするなんて自殺行為に感じます。
そんな環境でも、負けていなかったという事は、きっと高設定が多かったのでしょう。
昔のパチンコ屋は常連を大事にする人情味のある店も多かったですからね。
目押しもろくにできなかった私に、優しく接してくれたアラジンに感謝です!
おすすめ記事